こんにちは、ヤチヤチルです。
先日、香山リカ著『「発達障害」と言いたがる人たち』(SB新書)を読んだのでその簡単な感想です。
この本は発達障害が近年増えていることについて書いた本です。
私は発達障害にさほど詳しくないので、そういう視点で読んだ感想だな、と考えて頂ければ幸いです。
目次
『「発達障害」と言いたがる人たち』の目的設定は良い
どんな本にも世に出す目的はあるものですが、『「発達障害」と言いたがる人たち』では次のように設定されています。
……その可能性は低いのに「私は発達障害かも」と思う人が増えているという、医療の問題というより社会的な現象について取り上げ、その原因などを考えてみたい……
(註:太字装飾は引用者による)
発達障害の診察を受けにくることを「社会的な現象」という切り口で論じるのは、面白いと思います。
実際に『「発達障害」と言いたがる人たち』では、前半に基礎知識として簡単な発達障害を取り上げた以降は、発達障害を取り巻く精神医療の混沌と「社会的な現象」としての発達障害について言及していきます。
全体の構成としては分かりやすい本でした。
肝心の「社会的な現象」への言及部分が薄く感じた
ここは個人差があると思いますが、本の8割は結局医療の話に感じました。
すなわち発達障害という病気(香山リカ先生は病気でないと言っていた)の診断基準が曖昧だったりコロコロ変わったりするため、医療側で問題が起こっているというものになってます。
それはそれで面白い話となりますが、目的とずれてしまうのは考えものです。
例えば「発達障害ビジネス」について触れた章があるのですが、発達障害の人の特性とスマホゲームへの言及に留まっており、社会問題(課金の問題など)として扱う範囲はごくわずかです(そもそも発達障害の特性って一括りにできるものなのという疑問もありましたが……)。
精神科医の保身?
香山リカ先生は『「発達障害」と言いたがる人たち』の中で、発達障害が増えている原因に、受診者の増加と医療者の診断の増加の2点を挙げています。
それ自体はそうなんだ、という感想なのですが、最大の要因としてこれまで診断されたなかった人が受診することが増えたと指摘していることに、患者に責任をなすりつけているのでは、という違和感を感じます。
これはいちゃもんと言われればそれまでですが、文面からはそのような印象を受けます。
確かに製薬会社の患者の掘り起こしや、発達障害に力を入れた政策に言及しているものの、受診者数増加との関連はあまり書かれていません。
「社会的な現象」を書くならば、患者―医療者間を超えた社会的部分との関連性をはっきり示してほしいものです。
発達障害の専門家でないという逃げ
香山リカ先生は発達障害の専門家でないと『「発達障害」と言いたがる人たち』の中で公言しています。
確かに精神科医の中ではそうなのかもしれませんが、私たち非医療者側の人間としてはそんなことを言わないでおいて欲しいものです。
一見誠実な発言に見えますが、おそらく予防線以外の何物でもないでしょう。
下手に不安にさせるような発言を載せない方が本書のためになったと思います。
治療ではなく支援の必要性
香山リカの『「発達障害」と言いたがる人たち』では診断を受けにきた人は、たとえ発達障害と言えなくても、「困りごと」や「生きづらさ」を持っているので治療でなくとも支援は必要だと述べています。
これについては私も同じように感じます。
例え困っている人でも病気でなければ医療の外に出されてしまいます。
この医療の外に出てしまった人をどう救うのか。
それは社会や国となるでしょう。
一方で社会や国というのも、判断基準に医療を頼りにすることが多いです。
困っている人の多くの悩みを解決していくためには、医療や社会、政策が相互に絶えず発展していくしかないでしょう。
良くも悪くも淡々としていた印象
ここまで色々と書いてきましたが香山リカ先生の『「発達障害」と言いたがる人たち』について、新しい知見が付いたとか、モノの見方が変わったとか、視点が増えたとかいうよりも、淡々と読み進められるものでした。
原因はおそらく2つあって、当初述べていた目的から若干ぶれて執筆がなされていたことと、発達障害ではないが私が精神疾患当事者であり前提知識があったことが考えられます。
「発達障害」に関心がある人、私の感想を受けて読んでみようと思った人は、手に取ってみるのもいいかもしれません。
以上、ヤチヤチルでした。
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