こんにちは、ヤチヤチルです。
このブログにアクセスしてくれる人の多くは、精神疾患を持っていると思います。
中には、なかなか自分の病気(障害)を受け入れられない人もいることでしょう。
病気(障害)を受け入れることは、なかなか難しいことです。
私自身、いきなり病気を受け入れられた訳ではありません。
正確には「知識」として受け入れることはできましたが、「体験」として受け入れることがなかなかできませんでした。
なので、私は二度、双極性障害であることを受け入れることになったのです。
目次
診断が下ったとき、「知識」として双極性障害を受け入れた
私は最初うつ病で、途中から双極性障害と診断が下りました。
精神医学にそもそも興味があり、診断が下った時点で、双極性障害についての「知識」はありました。
例えば、うつと躁が(突然)交互に来ることや、現段階では特効薬がなく一生薬を飲まなければならないこと、気分を安定させるような生活を心掛けなければならないこと等です。
「知識」を持ってして受け入れた当時の私
双極性障害がどのような経過をたどるのか、どのような治療をするのか、「知識」では知っていたので、双極性障害という診断を、その場ではすんなり受け入れることができました。
自分が双極性障害じゃないか、という疑いを持っていたことも受容の後押しとなりました。
双極性障害への拒否反応はなく、症状はつらいけれど、「一生付き合ってやろうじゃないか!」、と意気込んで(?)いたくらいです。
しかし、このとき受け入れていた双極性障害という病気(障害)は、教科書に出てくる「知識」上の存在に留まっていたんですよね。
生活に不便し、自分の「体験」として双極性障害を受け入れた
のほほんと学生生活を送っていたので、診断が下ったときは、特に困るようなことはありませんでした。
淡々と治療に励み、これなら将来困ることもないんじゃないか?と感じていました。
修士論文で忙しくしていた時も、やや想定外の病み具合で済みました。
ここまでは、双極性障害を受け入れられている、と思い込んでいました。
仕事を始めて痛感する双極性障害という病気(障害)
しかし、人生そんなに甘くない。
会社で働くようになってから、受け入れられないようなことが沢山ありました。
- 身体が動かず、会社で毎月欠勤や遅刻をしてしまう。
- 日中精神が落ち着かず、仕事がはかどらない。
- 頓服薬を飲まないと仕事に行けない。
- コミュニケーションがうまく取れない。
- 冬になると、まともに仕事ができない。
双極性障害の苦しさを痛感することになりました。
そして何よりつらいのが、「こんなはずじゃない!」、という自分の心の中の叫びでした。
結局のところ、本当の意味で双極性障害を受け入れられてなかったんですよね。
上辺の「知識」のみで、自分の「体験」として受け入れていなかった。
そのため、理想と現実とのギャップに苦しむことになりました。
休職/退職をして少しづつ自分の「体験」として受け入れていく
「こんなはずじゃない!」と思いながら、休職し、そして退職をしていきました。
――別に、自分が優れている人間だと思っていたわけではない。
――ただ単に、普通に働きたかっただけだった。
そんな思いを抱えながら、再度双極性障害と向き合うことになったのです。
主治医の精神療法と休養、妻のおかげで、少しずつ自分の考えが変わっていきました。
それは、自分のできる範囲の事しかできない、ということです。
(未だにきちんと理解しきれていないので何度も何度も周囲に注意されますが……。)
双極性障害を自分なりに捉えなおす
出来る範囲の事しかできない、という気付きが、私にとっての双極性障害を、自分の「体験」として受け入れるということです。
すなわち、双極性障害がもたらした自分に対する苦しみや痛みを通して、改めて双極性障害を自分なりに捉えなおすこと。
私は、その行為をしているんだと考えています。
病気(障害)を受け入れることは簡単ではない
甘くみていたんですが、病気(障害)を受け入れることは、そう簡単なことではないらしいです。
全ての人に当てはまるわけではありませんが、「知識」だけでなく「体験」も、病気(障害)を本質的に受け入れるためには必要、と考えています。
私の例は分かりやすいのではないでしょうか。
精神疾患は社会的な病気でもある
双極性障害含む精神疾患は、身体的な不調ももたらしますが、社会的な問題を生じることがとても多いです。
ある種、社会的な病気と言ってもいいかもしれません。
だからこそ、「知識」に加えて「体験」という作業がとても重要になります。
私は双極性障害を二度受け入れることになったのはそのためです。
以上、ヤチヤチルでした。
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