こんにちは、ヤチヤチルです。
先日、久しぶりに友人から電話がかかってきまして、入籍の報告と結婚式への招待を受けました。
おめでたく光栄なことなので、謹んで招待を受けることになりました。
そのときに思った、自分から自分への”一般的”というまなざしについてです。
平日は”一般的”には働いている時間
結婚式の話をして軽く談笑した後、電話を切るときに「昼休み中にごめんな」、と言われました。
私は働いてないので、一瞬???となってしまったのですが、よくよく考えたら一般的には働いている時間。
そりゃそう言うよな、と思いながら「いやいや、いいよ。おめでとう」と言って切りました。
ずいぶん働いていないので忘れてたのですが、平日昼間は”一般的”には働いている時間です。
失業したことは、リアルでは親族しか知りません。
なので、その友人はてっきり私が働いているもんだと思っていたわけです。
色々カミングアウトしようかな、とも考えたのですが、おめでたい話の後にするもんじゃないな、と控えました。
自分の中の”一般的”が肩身を狭くする
その電話が終わった後は、びっくりしたーという感想しかなかったのですが、時間が経つにつれてひしひしと感じる肩身の狭さ。
”一般的”には働いているのが当然なんだろうなあ、と。
友人から嫌なことは言われてないんですけどね。
休職や退職の当初は、周囲の目を痛く感じていたのですが、既に気にならなくなっていました。
私の交流ツールの一つであるTwitterには、私と同じ状況の人が多く、無職であることはさほど気になりません。
なので、働いていないという状態を受け入れられるようになった、と思っていたのですが、そうでもなかったようです。
自分の中の”一般的”という視点から逃れるには
”一般的”に言って、働いていない状況は考えにくいことです。
学生時代、私も無職の状態なんてありえない!と考えていました。
転職するにしても、ほとんど空白期間がないことが多いのではないでしょうか。
ここで想定している”一般的”とは、社会の中で構築を繰り返されてきた常識のようなものです。
私の中にも”一般的”という視点があります。
それは悪いことではないと思います。
ただ、”一般的”を自分の人生に何でもかんでも当てはめてしまうのは、人生をつらくします。
私が思うに、”一般的”という視点から逃れるには、自分を受け入れることが一番です。
今の自分を肯定してあげましょう。
自分は自分であり、他人は他人である、比較しない、ということが大事だと思います。
もちろん時間はかかります。
私はもう十分にできているな、と思っていたのですが、今回の件で、まだまだだということが明らかとなりました。
やっぱり時間がかかるんでしょうね。
これから、リア友や、私が無職であることを知らない親戚と会う機会もあるでしょう。
そのために、今のうちにトレーニングを積んでおきたいところです。
以上、ヤチヤチルでした。
スポンサーリンク